「カサブランカ」というワードを聞いてハンフリー・ボガード主演のアノ名作映画よりも、広島の男性は風俗・デリヘルをイメージする人の方が多いことは紛れもない事実。これはカサブランカグループが広島(地元)のデリヘルユーザーに認知され、定着しているからである。もちろん広島以外(県外)の県も同じで、全国の男性も上記と同じことを思うくらい、知名度を広げている。今では日本全国 27 府県に 57 店舗あり、女性の在籍数に関しては全店舗合わせると 6,000人を超えるという巨大グループなのだ。そんな急成長を遂げたカサブランカグループの歴史を探る。

カサブランカグループというデリヘルを主体とした巨大風俗会社の歴史


2014 年に本社事務所も移転。風俗業界ではありえない大きさの大きなビルの中を 7 フロアを貸し切っての事務所を構えることに。その目的は「働く嬢の居住空間の整備」と、「お客様へのサービスの効率化」を図ることであった。198㎡の広さを有する 1 フロア全部を嬢のプライバシー保護になるスタジオにしたり、嬢の待機室やネットカフェ、個室カラオケ、はたまたフィットネスやビリヤード、ダーツなどを備えたリラクゼーションルームにベランダの屋外カフェテリアまでも備える。私が知る限りではデリヘル店でこれだけの事務所を完備したお店を知らない。また迅速で質の高いサービスの安定供給をすることを目標に予約管理システムもすべて電話とPC 上の管理を繋げる CTI 化にし、送迎業務にもネット上のマップを利用したタクシー会社並みの配車システムを導入。また個店に分かれていたこれまでの運営業務も 1 本化することで効率化を図ったことは、拡大成長途中のカサブランカグループにとってアクセルとなったことは言うまでもない。長年オーナーとともに寄り添い運営に関わってきた経営陣の間でも「ここまで大きくなるとは思わなかった…。」という声が大半を占める。それもそのはずこの企業団体では働く女の子やお客様の満足を追求していったがゆえの成長であって決して最初から“会社を大きく”したかったわけではないのだ。急成長と遂げた「カサブランカグループ」はこの風俗業界を知らない人たちのあいだにでも話題となり、有名な週刊誌からの取材、人気深夜 TV 番組への出演など、様々なメディア取り上げられるようになる。かなり簡潔にまとめたが、カサブランカグループという巨大な風俗会社の歴史について触れてきたが当然、これで幕を閉じる訳ではない。今もなおデリヘル・風俗業界に新しい風を吹き込むべく、歩みを止めることはなく、進み続けている。カサブランカグループのさらなる躍進から益々、目が離せない。

カサブランカグループが誕生するまで


今では日本全国に 60店舗以上を展開する大型風俗系列店にまで成長しています。そこでカサブランカグループが今に至るまでの経緯を紹介したいと思います。2004 年…バツイチで子供 2 人を育てるシングルマザーの長谷川華は貧困生活を送っていたのですが、遂に家の電気を止められてしまう。この窮地を脱する為に風俗デビューすることに。2005 年…当時、働いていたデリヘル店のオーナーが女性だったことに感化され、様々なことを学んだ長谷川華は一念発起して「カサブランカ」というデリヘルを立ち上げます。当初は「3 ヶ月は潰さない」という目標を掲げていましたが、今では 14 年も続く老舗の超大型グループ店へ と成長させました。華さんが(1 号店)「カサブランカ」を立ち上げた 2005 年の翌年には人妻デリヘルと性感エステ の 2 店舗を、さらにその翌年から 2010 年まで年に 1 店舗というハイペースで新店をオープンさせました。そして 2012 年、カサブランカグループに大きな転機が訪れます。この年、熟女専門デリヘル店「五十路マダム」をオープン。当初、風俗業界では 50 代の女性は需要がないと言われており、同業者からも成功しないだろうという声が囁かれた。しかし、蓋を開けてみればこれが爆発的ヒットに。今日までに「五十路マダム」は全国に 37 店舗という、熟女デリヘル界のキラーコンテンツに。当初は失敗すると囁いていた同業者たちもこぞって熟女店を出店するほど風俗業界に影響を与えたのです。長谷川華のカサブランカグループ・オーナーとしての経営手腕、先見の明があったことが証明されたのです。だからこそ 14 年もの間、カサブランカグループは風俗・デリヘル業界のトップランナーとして走り続けられているのでしょう。